● 子どもは母国語の発想で育つ
中嶋:「ネイティブスピーカー*は、赤ちゃんでも英語を話している」という冗談があるよ。
*ネイティブスピーカーとは、ここでは英語を母国語とする人を指し、以下ネイティブという。
Kenny:それじゃネイティブはみな天才だ。(laughing)
中嶋:もちろんこれは何年も英語を学びながら英会話ひとつできない日本の現状を皮肉ったものだ。
Kenny: 日本人はどうなの? まさか日本の赤ちゃんは日本語をすぐにぺらぺらしゃべりだすことはないだろう?
中嶋: そうとも! 親は幼い子どもに、毎日毎日片言で話しかける。もちろんむずかしい表現はしない。それは子どもにオウム返しをさせるためだ。簡単な言葉のくり返しによっていつの間にか子どもは言葉を獲得していく。
子ども 「ママ、おっぱい」
Kenny: ネイティブの子どもも負けてはいない。
Child
: Mom, Milk!
中嶋: ところが少し時が経過すると、彼らの言葉に大きな違いが出てくる。それは語順であり、日本語の発想で育った日本人にとってこれが大問題なんだ。
子ども 「ママ、おっぱいほしい」
Kenny: ネイティブの子どもなら次のように言うよ。
Child : Mom,
want milk!
中嶋:日本人の場合、ママが毎日「おっぱいほしい?」と聞くから、子どもはその通りオウム返しをして「おっぱいほしい」と答え、ネイティブの子どもは、ママがwant
milk?と聞くから、そのまま Want milk. と答える。
ほしい(=want)が先か後か、なぜこのような決定的な違いが出てくるかというのは、実に簡単なこと。ネイティブの子どもは英語の環境で育ち、私たちは日本語の環境で育ったからだよ。
Kenny:どちらの子どもたちも親の言葉をオウムのようにまねるんだね。
| <日本語の発想> |
ママ 「おっぱいほしい?」 *上げ調子
子ども 「おっぱいほしい」 |
| <英語の発想> |
Mom: Want milk? *上げ調子
Child: Want
milk. |
中嶋:ここで注目してほしいのは、これらの文にはDo youやIといった言葉がなくても、ママと子どもの間では十分わかり合えるということだ。これは日本語でもまったく同じだ。日本の子どもは「わたし」「ぼく」と言えるようになるまでは、「花子ちゃん、おっぱいほしい」などと言うよ。ふつう親は「花子ちゃん、おっぱいほしい?」と、子どもの名前を呼びかけるからね。
Kenny: ネイティブもそれはまったく同じだ。でもそれが基本となって、いつの間にかIとyouの意味がわかってくるみたいだね。
Mom:
Kathy, you, want
milk? *上げ調子
Child: Kathy, want milk. |
中嶋:そう、親の涙ぐましい日頃の努力が実を結ぶときがやってくるということだよ。
| <英語の発想> |
Mom:
Do you want milk? *上げ調子
Child: I want
milk. |
● 言葉は小から大へと拡大する
中嶋:今まで述べてきたことをまとめておきたい。以下にあげたのが、ネイティブの子どもと日本人の言葉を拡大していくプロセスだ。
| <ネイティブの子ども> |
<日本人の子ども> |
| Mom, milk! |
ママ、おっぱい |
| Mom, want
milk! |
ママ、おっぱいほしい |
| Mom, Kathy, want
milk! |
ママ、花子、おっぱいほしい |
| Mom, I want
milk! |
ママ、わたしおっぱいほしい |
中嶋: ところが、私たちが中学校で始めて体験した英語の姿はまったく違っていた。とにかくI want milk.といった完成文を言わなくては絶対通じないものと教えられた。だからこの
I が自分のことを指しているという実感もないままそれを丸暗記した。
Mom, milk, please!も言えないのに、I want milk.と丸暗記させられたというわけだ。しかもわざわざ「読解のために」とwantに漢文のレ点を打つような後戻り訳までさせられた。
Kenny: 飛行機に乗っているとき、大の大人がビールの注文をするのにおろおろしている場面をよく見かけるよ。
中嶋: そうだね。英語教育のはじめに、次のような順序で教えていればこんなことにならなかったわけだ。
| Beer,
please. |
ビールください! |
| Want
beer, please. |
ビールが欲しい |
| I want
beer, please. |
私はビールが欲しい |
| I'd like
beer, please. |
私はビールをいただきたい |
| May I have
beer, please? |
ビールをいただけますか? |
Kenny:それにしても、中嶋さんは日本の英語教育の批判については熱が入るね。
中嶋: 彼ら英語教師は、いまだに自分たちの英語教育が英会話の基礎だと思い込んでいる。しかしこれはまったく間違っているということに気づいていない。とにかく、日本の英語教育では英語の発想を教えずにその読解法ばかり教えている。かつて学校で学んだことは電卓のクリアーボタンみたいに一度忘れてみること、そして素直な気持ちで英語の発想に身をゆだねてみる必要があると思うんだ。